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スハフ42 2164 [形式集ライブラリ]

前回のスハ43に続いてスハフ42の画像です。スハフ42はスハ43形の緩急車として車端部に車掌(乗務員)室を設置した形式車です。それ以前に製造された客車では、乗降デッキから客室へ入る間に設置されていましたが、外側へ設けた例は本系列が最初となりました。妻面に窓が設けられて後方の監視が容易になり、以後に登場した14系や24系客車にまで引き継がれる形態となります。
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写真は内装がニス塗り、ぶどう色姿のスハフ42 2164で、まるで銀河鉄道999に描かれているモデルのような客車ですが、やはり殆どが盛岡や秋田などの東北地区でのみ残存していた末近代化改造車の43系です。
例外的に西日本地域で見られたチョコレート色のスハフ42も居ましたが、福知山(福フチ)と門司区(門モシ)に1両づつだったと記憶しています。後者の302号は夜行鈍行「ながさき」(門司港ー長崎・佐世保 1984.2改正で廃止)の座席車として活躍していましたが、創設間もない頃の18切符や周遊券で一夜を過ごされた年配方も居られるのではないでしょうか。

スハ43 2326 [形式集ライブラリ]

在来型客車、旧客の中でも最終期に製造されたのが、いわゆるスハ43系です。
優等列車に用いる客車として、戦後の1951年より製造されて、主に急行列車のほか、当初は戦後に列車名が復活した臨時特急「さくら」(東京ー大阪)の3等車としても使用されました。
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車内放送設備(初期車は準備工事で落成。設備が備わる以前はアニメ「銀河鉄道999」のごとく、車掌さんが駅の到着ごとに声をかけていたそうです。)、床材を木の板張りから樹脂化、座席の背ズリの傾斜化(初期車除く)、頭も垂れの設置、車内照明を明るくする為の灯具の2列化等々、今日では当たり前のレベルに近づきつつ、当時としては接客設備面で先進的な車両でした。

スハ43系については、全盛期のS30後半から殆どが近代化改造工事の対象となり、車内照明装置の蛍光灯化、内装ベニア材のニス塗りからデコラの化粧板化、外観色も20系客車と同じ青15号への塗色変更が行われました。

写真のスハ43 2326は1984年の夏に原ノ町発、青森行の鈍行223レを仙台から乗り通した際に連結されていまして、途中の一ノ関で撮影。前からED75+スハフ42茶+スハ43青+スハ43茶+スハフ42青と鉄道模型さながらの編成でした。なお、写真の2326号のように近代化改造を施されなかったスハ43は東北の※盛岡地区に比較的多く配置されていたようです。
※私の記憶が正しければ西日本地域では「山陰号」で活躍していた出雲市区配置のスハ43 1両のみが唯一ぶどう色で存在していました。

キハ183 104 [形式集ライブラリ]

数ある国鉄車両の中でも個人的にゲテ車両ワースト10と思うのが、このキハ183 100番代です。当時、斬新な先頭車デザインで登場したキハ183系初期車が80系に変り、颯爽と10両又は9両固定の長い編成で北の大地を走り始めたのも、つかの間。国鉄末期には新製費を極力抑えるべく、短編成化で捻出した車両で需給を賄うといった政策方針から、全国で中間車の先頭車化が盛んに行われるようになりました。
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キハ183系も例外でなく、1985年に電源用発電機を持つ中間車だったキハ184形に運転台を設けたキハ183 100番代が登場。混雑の激しい夏のピークでも「北斗」や「北海」が短い6両編成で走るようになってしまいました。改造当初は一部が0番代先頭車に準じた塗り分けで出場し、そのあまりにも醜いスタイルから、すぐに写真のキハ82や181に準じた装いへ再塗装されたというエピソードもあるそうです。

101〜104の計4両が改造され、画像の104号は現在も唯一健在。札幌と網走を結ぶ「オホーック」に時たま充当されているようですが、今春ダイヤ改正で、運用両数削減が理由と思われる運転区間短縮が予定されており、動向が注目されるところです。

DE10 901 [形式集ライブラリ]

試作車つづきで今度は珍しいDLの写真です。
DE10 901。DE10を名乗っていますが、後に入換専用機で登場する姉妹機関車のDE11の試作機関車でした。ファン的な視点からの特徴は、エンド側のボンネットに煙突がないノっぺら顔でしょうか。量産機と異なる最大の点ですね。
場所は京都駅の奈良線ホーム手前。現在の11番ホーム付近にあった留置線を7番線から見た位置になります。当時はここへ、工場への入出場車や臨時列車に充てられる車両が良く留めてあったものです。偶然捉えたカットでしたが、やはり出会えたのは、この1回きりでした。
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711系900番代 [形式集ライブラリ]

BD復刻にあたって収録写真の取り込みをしています。
同じロールの中から711系900番代が出てきました。1968年、北海道では初めてとなる小樽ー滝川間の電化開業前年に試験投入された車両です。特に901号編成のユニット式側窓が量産車との最大の相違点で、落成当初は乗降扉も4枚の折戸式と異彩を放っていました。
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写真は千歳・室蘭線の電化で運用範囲を広げた際、量産車と編成を合わせるべく新車のクハを加えて3連化、クモハが中間車封じ込めになった80年前半のものです。(前後して屋根の補助灯も同電化用の増備車100番代に合わせて追設)
当時、列車の乗換駅で偶然目にして撮った2形式ですが、記録出来たのは後にも先にも、これっきり。塗色も、すぐにJR化後も引き続いて使用された新色へ塗り替えられてしまいました。

それにしても、あらためて見ると同じ頃のポジフィルム原板に比べ、カラーネガの劣化がかなり進んで来ているようです。これを機にスキャニング設備を備えた業者をあたって、再デジタル化を試してみようと考えています。
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オヤ31 12 [形式集ライブラリ]

姿、形から通称「針ネズミ」、「オイラン車」と呼ばれる建築限界測定用試験車ことオヤ31形客車です。その用途ゆえ、実際に機関車に牽引されての走行が見られるのは、新線の開通前あるいは電化工事完成での測定、自らのメンテナンスで工場への入出場時のみという稼働率が極端に少ない鉄道車両でもあります。
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戦後に一般客車や職用車、食堂車等を種車に改造された計7両が全国各地に配置され、JR化後も四国を除く旅客鉄道各社へ1両づつ継承されました。青函トンネルや瀬戸大橋の完成時でも、真っ先に、このオヤ31を連結した試験列車により通り染めが行われています。2016年現在はJR北海道の32号、西日本の31号のみが現役。写真のオヤ31 12はJR東海のリニア・鉄道館に収蔵展示されています。

キハ08 3 (初代キハ40 3) [形式集ライブラリ]

1960年代にオハ62、オハフ61といった元60系客車をベースに気動車に改造されたキハ08形です。最初は初代キハ40形として登場し、仲間に方運転台タイプのキハ45形(後にキハ09に改番)、キクハ45形、付随車のキサハ45形があり、慢性的な気動車不足であった当時、北海道、東北、四国で導入されました。
写真は1985年5月に廃止となった加悦鉄道に払い下げられて活躍していた3号。
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同車は札幌近郊で同系列のほか、キハ22等と併結で運用されていたようですが、国鉄から全廃後の1971年以後、京都北部の加悦鉄道にやってきました。
車体中央の社紋とクリーム地が同鉄道の白っぽいカラーとなっているほかは、車号、銘板(日本国有鉄道、苗穂工場改造)も国鉄時代のままでした。車内設備はニス塗りの内装に白熱灯、クロスシートが並ぶ旧型客車そのもので、種車だったオハ62譲りの二重窓も健在。後に国鉄からキハ10形が譲渡されてからは、冬場をメインに稼働していたようです。
余談ですが、現在もJR各社で走っているキハ40形の車号に1が存在せず、101〜で始まっているのは、この車が当初キハ40 1〜を名乗っていたからとも言われています。

クハ103-1 [形式集ライブラリ]

製版所へ出す案件があったので、しばらくぶりにポジフィルムのデータ化を依頼。

写真は103系トップナンバー先頭車です。この何年か前まで相棒のクハ103-2と編成を組んで阪和線で現役でした。
資料によれば1964年5月に池袋電車区へ新製配置といいますから、山手線で走り始めた車両という事になります。
その後は京浜東北線を経て、1976年に大阪へやってきて以降、長く環状線で活躍しました。塗色もウグイス→スカイブルー→オレンジ→再スカイブルー再オレンジと変わりました。
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まもなく当地にオープンする京都鉄道博物館の展示車両の1両ですが、可能なら写真時代の戸袋窓がある姿まで復元して欲しいところです。

懐かしの道内特急たち [形式集ライブラリ]

今日から北海道内の気動車特急が減便、減速に伴うダイヤ改正とのニュースが流れていました。

折しも先週、カバー増刷用のスキャンついでに出した道内特急車両のポジフィルムが帰って来たばかりで、それらをご紹介します。

まずはバラエティ豊かな183系気動車の中でも元祖なキハ183 904。これは道内の80系取替用としてS54年、長期テストを兼ねて落成した試作車12両のうちの1両です。

量産車と目につく違いは、この頃に新造された他の特急車両でも一時採用された空調装置故障時に備えた換気窓があることです。前から二つ目がそれで、上部分が内側へ可倒する構造になっていました。

当時、函館ー釧路間3往復の「おおぞら」のうち1往復に10両編成で投入されました。運用的に片道分しか編成が組めないので、充当は80系と日替わりバンコ。時刻表にはその旨の但し書きがされ、183系で運転される日は食堂車がない代わりに自由席が1両増えるという列車でした。
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続くは中間車のキハ182 902。手前の小窓が非常口を兼ねていますが、これも量産車にはない特徴です。近年までバスにも見られた非常口ですが、国鉄では「使った試しがない」ということで183系試作車を最期に廃止に。それまで扉を備えていた従来形特急車両も、後に全て埋められてしまいました。
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こちらは781系。千歳線電化と(旧)千歳空港駅開業に合わせて走り始めた電車特急「ライラック」用に投入。酷寒な道内の使用条件に合わせた専用の特急形式としては初の車両で、それまでは南は九州まで全国に勢力図を伸ばす485系が用いられていました。

写真はまだ6連時代の姿で、先頭車は電車には似合わない自動連結器に空気管を装備しています。
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あれから30年余。バリバリの新車だった183系試作車、781系とも今はもう時代の彼方へ。現在、これらの車両で培ったノウハウを引き継いで活躍する道内の新鋭特急車両たちですが、1日も早い正常復帰を願うばかりです。

1986年、国鉄時代最後の夏 [形式集ライブラリ]

今回のBD復刻に際して、一部使用写真をフィルム原盤から製版用スキャナで起こし直して貰いました(DVD盤は民生用写真スキャナ)。少ない数で作業頂くには偲びないので、ついでに他のカットも依頼しました。

まずはEF62荷物列車。撮影は京都駅です。元々は信越線用の機関車でEF58の取替用に転用されたのですが東海道・山陽線では短命でした。この11月改正で小荷物輸送も全廃を控えており、編成は客車がたった2両と寂しい姿でした。
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同じく東海道線ホームの新快速117系100番代。国鉄の厳しい財政で原則、車両新造は抑制された中で、彦根までの運転だった新快速の米原延長に際し、例外的に3編成18両だけが追加増備されました。
写真は落成したばかりで延長運転を待たずに走り始めた新車100番代です。0番代より下降窓、211系電車と同じボルスタレス台車採用に変更されるなど一段と洗練された姿になっています。現在は4両に短縮されて山口県内の山陽線で活躍中。
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続いて10番線に佇むのは、われらが奈良線の113系。真ん中に湘南色のユニットが入っていますが、111系電動車ユニットが一時、静岡地区から入線してきて105系と共に走っていました。
理由は福知山線電化による中間車の改造転用による穴埋め。この頃の奈良線では1両たりとも冷房車がなくサービスは最悪の時代でした。
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ちょっと北へ大きく飛んで札幌駅。今は亡きキハ80系です。味わいのあった地上ホームもJR化後は高架駅になってしまいました。時期はちょうど今頃の8月のピーク、写真を見ていると先頭車の発電エンジンの騒音に加えて、混雑する駅ホームの喧噪が伝わって来るようです。
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2両目の食堂車キシ80形。道内の80系特急ではこの年の11月に定期運転を終了しましたが、在来線昼行特急として最後まで食堂車を連結営業していました。
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今後、写真も少しづつデジタル化していこうかと思います。

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